天神社とは ・ ・
天神社由緒
(天神社は古来より天神宮と称されていました。やがて明治以後、天神社になりました。)
天神宮縁起書によれば第十代崇神天皇の御代の御鎮座である。現存する御本殿の最も古い練札は貞応元年(1222年)のものである。
御本社は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)・津速産霊神(つはやむすびのかみ)をおまつりしている。
この神々は「古事記」や「日本書紀」に造化の神として記されている。
又、本居宣長著「玉鉾百首(たまほこひゃくしゅ)」にも「神の道は高皇産霊神・神皇産霊神・津速産霊神のお働きに始まる」と記されている。
天神社の神様 はその「産霊(むすび)」の神様で、ものごと成就・祈願達成・縁結び・合格祈願等に御神徳のあらたかな神様である。
又、当地「高田」の地名は平安時代初期「蓼田郷(たでだごう)」と称していたが、天神宮の主祭神「高皇産霊神」の「高」と「蓼田」の「田」とをとって「高田」と称されるようになったとも称されている。
天神社の主祭神について
主祭神として祀られている高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は高木大神(たかぎのおおかみ)とも称され、天地創生の霊力をもった生成神です。
宮中の神殿に祀られている神様であります。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)とともに天孫降臨の司令塔となり、後の神武天皇の東征に深くかかわった神様として知られています。
古事記には、高皇産霊神(高木の神)が天つ神御子(あまつかみのみこ)後の神武天皇のもとへ道案内として、八咫烏(やたがらす)を遣わす記述があります。
初度御造営があった貞応元年(1222年)の10年後、貞永元年(1232年)に御成敗式目が制定されました。その式目の第一条をご紹介します。
第一条
神社を修理し祭祀を専らにすべき事
神は人の敬ひによって威を増し人は神の徳によって運を添ふ
今も昔も日々の生活の中で 神様を思う人々の心は変わりません。
これからも大切にしていきたいと思います。
宮司からひとこと
当社は「天神さん」と呼ばれて、大和高田市はもとより近郷の方々から地域の氏神・崇敬神社として親しまれております。
また、1222年(貞応元年)から数えて2022年(令和4年)が御造営800年という節目の年になります。
鎌倉期から続く長い歴史とその重みを感じながら日々神明奉仕をしておりますが、それに向けて境内の整備を進めていきたいと思っています。
どうぞ、みなさま「天神さん」にお参り下さい。
天神社宮司 藤井 宏典